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《梅にんじん》 1. にんじんを好みの厚さの輪切りにして、円周を5等分にして印をつけ、5弁の花形にむく。 2. 花びらのみぞから中心にむけて包丁を入れ、切れ目を入れたところに包丁を斜めに入れてそぐ。 |
それは、イカルスでのある日のできごと。 昼食の片付けを終えた幕之内は、いつものように食堂のテーブルで珈琲を飲みながらひといきついていた。 ――夕食は、カレーだったな。とっとと煮込みにかかるか。 そう思い、立ち上がろうとしたとき、パタパタと澪が駆け寄ってきた。このイカルスの小さなお姫さま――真田澪は、そろそろ地球年齢で10歳といったところだろうか。 「まくさん。今日、お仕事いそがしい?」 背中まで伸ばした金の髪を揺らし、小首を傾げる。 「いや。今日は、特に忙しくはないよ。何か用か?」 「うん。あのね、まくさんにお願いがあるの」 大きな榛色の瞳で、上目遣いに幕之内を見上げ、澪はにっこりと笑った。 |
「ただいまー。ねぇ幕さん、珈琲ある?」 帰ってきた柚香がキッチンを覗き込むと、そこには幕之内と一緒にエプロンをつけた澪が包丁を持って立っていた。 「あ、柚ちゃん。おかえりなさい」 「――何してるの?」 二人が立っている調理台の前には、にんじんがごろごろと転がっていた。怪訝な顔をしてカウンター越しに柚香が覗き込んだ。 「あのね。お花を作ってるの」 「へぇ? 飾り切り?」 よく見れば、澪が手にしているのはペティナイフだったし、まな板の上には、輪切りにされたにんじんと、失敗したらしいにんじんの切りくずがたくさん落ちている。その数から想像するに、だいぶこの作業を繰り返しているらしい。 「突然、どうしたの?」 「お花だったら、キレイでしょ?」 「う、うん。それはそうだけど」 怪訝そうな顔をした柚香が幕之内に目で尋ねたけれど、幕之内はちょっと肩を竦めただけだった。不思議に思いつつも、柚香はカウンターに頬杖をついてにっこりと笑った。 「――私も、一緒にやってもいいかな」 そして、エプロンをつけた柚香が加わり。 ――さらに、にんじんの残骸が増えることになる。 「まずは、適当な厚さに輪切りにしろ」 言われた柚香が、にんじんを輪切りにする。 「あほう。そんなペラペラに切って何を作るつもりなんだ?」 「"適当"って言ったじゃない」 柚香が口を尖らす。 「あほか。"適当"ってのは、"適切な量"ってことだろうが。"どうでもいい"じゃないんだよ」 だったら、そう言ってよ。と頬を膨らます。 「次は、花びらを作るからな。円周を5等分して印をつけて、花びらに切れ」 はーい。言われた通りに柚香が手を動か・・・しているはずなのだけれど。 「――おまえ。相変わらず、不器用だな」 幕之内が、呆れたように溜息をついた。 「う、うるさいな。幕さんは。別に不器用なわけじゃないわよ。包丁が上手く使えないだけよっ」 そう言いながらも、あ、しまったっ、あれっ、とつぶやきが続く。 「お、澪は器用だな。そうそう、上手いぞ」 さすがに、花びらになるはずだった残骸の分だけ、澪は上手になっていた。 「包丁じゃなくて、にんじんの方を動かしてみろ」 いくつかのアドバイスを受け、いくつもの残骸をつくり、ようやく、何とか花びらの形を作ることのできた柚香が、ホッとしてにっこりと笑った。 「なーんだ。やれば、できるじゃない」 「あほう。まだ続きがあるんだよっ。こうやって、真ん中にむけて包丁をいれてそぐと、立体的になるだろう?」 へぇ〜と柚香と澪が感心する。やってみれば、これはさほど難しくはなかった。それでも何度かせっかく作った花びらを切り落としてしまったけれど。 そうして、ふたりは、かわいいにんじんの花を作った――たくさんの残骸とともに。 |
「いただきまーす」 義父も揃っての夕食に、澪の顔がほころんだ。今夜は、ホワイトシチューだ。 「うん? 随分可愛らしいにんじんだな」 真田が、花形に切られたにんじんを目敏く見つけ、スプーンですくった。 「あ、それはね、まくさんが作った分だよ。あのね、こっちは澪がつくったの」 義父の皿を覗き込んで、澪が指差した。 「澪が作ったのか? 上手じゃないか!」 食べてしまうのが惜しそうに、真田はしばらくにんじんを眺めていたが、やっと口に運んだ。 「うん、澪。美味しいよ」 澪も、義父に褒められて嬉しそうだ。 「? これは、失敗作なのか?」 真田が、かなり不格好なにんじんをすくい上げると、柚香がぷいっと頬を膨らませた。 「――それでも、成功品なのっ。職人が作ったのと一緒にしないでよっ」 そりゃ、すまん。そう言って真田はにんじんを口に運ぶ。味がおかしいわけではないので、口に入れてしまえば、何てことはない。 柚香は、口を尖らせながらも自分の皿を見つめ、きれいな花のにんじんを選び出した。 「澪。ほら、これ幕さんが作ったお花じゃない? 澪にあげるよ?」 そう言って、にんじんを移そうとした柚香を、澪が止めた。 「だめだよ。それは、柚ちゃんのだよ」 「え? いいよ。澪にあげるよ?」 それじゃ、だめなの。と、澪は首を振った。 「柚ちゃん、いっつもにんじん食べてないでしょ?」 ギクッ、とした柚香が幕之内を見ると、俺は言ってないぞ、とばかりに顔を横に振った。 「――澪?」 「あのね、すききらいをしちゃだめなんだよ? にんじんさんが可哀相でしょ?」 「――あのね?」 「それにね、一度食べちゃえば、たとえ柚ちゃんがにんじんさんをキライでも、にんじんさんは柚ちゃんのために働いてくれるんだから。ちゃんと食べなきゃ」 「――」 ククク、と笑う声が多方面から聞こえたが、柚香には言葉を発する気力は残っていなかった。 「ね? お花の形をしていたら、カワイイから食べやすいでしょ?」 「――もしかして私のために、これ、作ってくれてたの?」 初めて澪の目的に気が付いた柚香が、驚いて尋ねた。澪が、にっこりと笑った。 「にんじんさん、おいしいよ?」 ブッ、と吹き出したのは、こらえきれなくなった真田と山崎だ。 ここまで言われては、食べないわけにはいかない。 ――涙目になって、オイシイネ、と言ったもののなかなか飲み込めない柚香。 その夜の食堂には、いつまでも笑い声が響いていた。 |
「ねえねえ、まくさん」 お風呂からあがり、寝る支度を整えた澪が、食堂の奥にあるソファでくつろぐ幕之内に声をかけた。 「今度は、りんごのうさぎさんの作り方を教えてね?」 幕之内が、ブッと飲んでいた珈琲を吹き出すと、テーブルに図面を広げていた真田が血相を変え、ガタンと椅子を蹴って立ち上がった。 ニヤリ、とした柚香が、あら、美味しそうね、とあからさまに真田から視線をはずした。 「柚香――っ!!」 星の瞬く夜、イカルスは平和だった。 |
(fin) |
あとがき |