人魚姫 
100のお題「200661 月影」より

2007/9/18   紗月さま



(1)
 自分用の本棚は名波遼太郎がピンクに塗ってくれた、小さいけれど特別なものだ。
その前にかがみ込んで、澪は一冊の本を引っ張り出した。
本のタイトルは『人魚姫』。
今一番お気に入りの、大切な大切な本だった。
「お義父さま、おやすみなさい」
澪は真田志郎にぎゅうっと抱きつくと、その作業服に頬を押し付けてそう言った。
「こらこら。今日は観測機のメンテナンスをしたから、油で汚れているぞ。そんなにしがみついたら澪も汚れてしまうじゃないか」
グローブをはずし、澪の金色の髪を優しくかき上げてその瞳を覗き込むと、真田はちいさく「めっ」と睨むふりをする。
「いいの。澪はこの油の臭いも好きよ。油の匂いがするお義父さまも大好き」
嬉しさに思わず緩んでしまう顔を締めようともせず、真田はそうか? と言いながら何度も澪の頭を撫でた。
「それは?」澪の手に握られた一冊の本を見つけ真田が問う。
「人魚姫のご本よ。眠る前にナニーに読んでもらうの」
現在、澪の年齢は推定10歳。読み聞かせなどしなくても大抵の本は自分で読むことが出来るのだが、まだまだ読んでもらうのも大好きだ。
「いや、本を読んでもらうならロボットじゃない方が良い。私はまだ手が離せないから、誰か探して読ませよう」
真田は背を伸ばすと、適当な人材がいないかと周囲を見回した。
「ダメ! お義父さま、このご本は絶対にナニーに読んでもらうの」
他の人じゃダメなの!
澪はくるりと身を翻すと、まるで逃げるように「おやすみなさい」と言い残して出て行ってしまった。
「・・・どういうことだ?」
その後ろ姿を、真田はぽかんと見送った。
うきうきと澪はベッドへ潜り込み、脇でスタンバイするナニーに本を渡した。
ナニーは育児ロボットで、人間との会話はもちろんできるが、感情を込めた朗読ソフトはインプットされていない。
読み聞かせを重要視する真田は、「下手でも構わないから人間が読んでやるべき」だと考えているからだ。
澪の反応を見ながら読んでやるような臨機応変さをロボットに求めるのは、出来なくはないとはいえ難しかったし、 その改良に掛かりきりになるには忙しすぎた。
「お願いよ。ゆーっくり読んでね」
「ワカリマシタ――」
ナニーは器用にページを開くと、言われたとおりゆっくり読み始めた。
むかしむかし、
人間たちから遠く離れた所に、1人のお姫様がおりました。
青く澄んだ水の中をゆうらりゆうらり漂いながら、
お姫様はひとりぼっちでした。
機械的で、あまり抑揚の無いナニーの読み方も澪はまったく気にならない。
なぜなら、本の文章も絵もすっかり覚えてしまっているからだ。
澪は目を閉じ、その世界へと入って行く。
青い青い海。漂うお姫様。難破船。王子様。
一生懸命に看病し、お世話をするお姫様――。
けれども王子様を探している人がいる。
王子様を必要とする人たちがいる。
「返さなければいけないわ」
お姫様には悲しい決意でしたが、王子様の幸せを願って
彼を人間たちのところへ返すことにしたのです。
たとえこの身が泡になっても、大好きな王子様と一緒にいたい。
でも――。
でも――――。
(2)
 ナニーが読み終わる頃には、澪はすっかり夢の中だ。
シーツに包まれ天使のように安らかな寝顔には、時おり柔らかな微笑が浮かぶ。
 
「お休み、澪」
その顔を満足そうに真田がみつめたのは、もうかなり夜も更けてからだった。
お姫様の本を好むなんて、やっぱり女の子だなぁ。くすりと笑みを漏らし、枕の脇に置かれた絵本を手にとってみる。
そういえば、この本を長く真田は読んでいなかった。 澪は眠る前の読書タイムがとても好きで、自分で本を選んでは持ってくるのだが、真田が読む日にはいつも違う本を用意していたからだ。
「お義父さまにお姫様の本は似合わないわ」
澪はいつもそう言って、冒険活劇の本を真田に渡すのだった。
「むかしむかし――」
真田は久しぶりにその本を開いてみた。
表紙には、満月が浮かぶ夜空の海を映して、広い海が広がっている。 遠くには帆影が見え、その船を見送るように海から頭を出している人魚姫の後ろ姿が描かれていた。
月光が明るく、人魚姫の姿はシルエットでしかないのだが、その絵は悲しそうに寂しそうに見えた。
海面が光っているのは月光のせいなのか、人魚姫の髪が広がっているのか曖昧でわからない。
さあ、王子。私たちと国に帰りましょう。
皆が貴方の帰りを待っております。
真田はそこまで読んで、ページをめくり、驚いた。
ところが王子様は迎えに来た艦に乗りませんでした。
艦から降りると、王子様はお姫様を強く抱きしめ、
そのままその地に残ることを選んだのです。
「スターシア、愛しているよ」
「守、愛しているわ」
2人の愛し合う姿を見て、
迎えに来た(ヤマト)も祝福しながら帰って行きました。
そして2人は、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたということです。
「めでたしめでたしぃ!?」
本来のページは切り取られていた。
澪は勝手にストーリーを作りなおし、ページを継ぎ足すと、絵も自分で描いたのだ。
確かにこの本はナニーにしか読ませられない。
他の誰かが読んだら澪のいたずらはすぐにばれてしまうし、この結末を知られるのは恥ずかしいのだろう。
ナニーなら忠実に最後まで読んでくれる――
「澪――」
真田はもう一度澪の寝顔を見た。
金色の髪、バラ色の頬。愛らしい唇。
その姿は、人魚姫にもイスカンダルのスターシアにもそっくりだ。
「澪――。スターシアと守は、本当に愛し合っていたんだぞ。そしてお前が生まれたんだ」
聞いているはずのない澪にそう呟くと、真田は本を枕元に元通り戻しておいた。

俺は見たよ、澪。
あの気高い人が、振り絞るように「愛している」と言ったのを。
あのイスカンダルで、お前の両親が固く抱きあい、幸せそうに手を振る姿を。
今度、その話をしてやろう。

真田はそっと寝室のドアを閉めた。
イカルス天文台は、深い海底のように静かだった。
(fin)
紗月様、ありがとうございました。 from瑞喜
あとがき
あとがき



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